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Dr. ハウスのベストDr. House (House M.D.) Lines in the Sand

the fourth episode of the third season

Dr. Cameron: Is it so wrong for them to want to have a normal child? It's normal to want to be normal.
Dr. House: Spoken like a true circle queen. See, skinny, socially privledged white people get to draw this neat little circle. And everyone inside the circle is "normal". Anyone outside the circle needs to be beaten, broken and reset so that they can be brought into the circle. Failing that, they should be institutionalized. Or even worse - Pitied.
Dr. Cameron: So it's wrong to feel sorry for this little boy?
Dr. House: Why would you feel sorry for someone that gets to opt out of the inane courteous formalities which are utterly meaningless, insincere and therefore degrading. This kid doesn't have to pretend to be interested in your back pain, your secretions or your grandma's itchy place. Imagine how liberating it would be to live a life free of all the mind numbing social niceties. I don't pity this kid - I envy him.

アメリカのドラマ(FOX)、Dr.ハウスの一場面です。シーズン3の第四話。
アメリカのドラマではここまで言ってもしっかり受け止めてくれる視聴者がいるんだと思うとアメリカは進んでいるなぁと感心します。ただ最近のアメリカでは自閉症やアスペルガーという病気自体が「流行」だという噂もありますが。


ナベアツが差別に繋がるなんて誰が言ったんだ?

だれも言っていないと思うんだが・・・。
障碍者関連のニュースでこんなものがあった。

差別に対して過剰に反応する人たちが差別を助長する:livedoorニュース

記事の中にあるリンク先のBPOを見たが「2008年5月に視聴者から寄せられた意見 1,507件」中で該当する意見はたったの一件だけだった。良く見っけたな、しかし。1/1500だもん。(実際にリンク先に行くとどんだけ意見が多いか分かりますよ)

<差別や偏見を助長する>:今月BPOに寄せられた意見
お笑い番組に出ている芸人の「3の倍数になるとアホになる」という芸は許せない。というより、これを「芸」と言ってはいけないと思う。スタジオではゲストも客席も「アホ」になった顔を見て笑っているが、これで笑うということは倫理的におかしいと思う。障害者の方々、顔面神経麻痺の方々の気持ちを考えたら、このような程度の低い笑いをテレビで放送することが適切か不適切かはすぐに分かると思う。放送局は、テレビを見ている青少年への影響も真剣に考えるべきだ。


「差別に対して過剰に反応する人」ってどっちなんだろうという疑問は置いておいて、一般人がそう言うのはまあ仕方ないにしても、一応プロのモノカキの方でも認識はこのへんなのかなぁ・・・これは結構深い話なんだけれども、と思ってしまう。
この論争がもとでナベアツがテレビに出られなくなるのが怖いがやっぱり書いといたほうがいいと思って。
もともとの話はこのブログのエントリーだと思う。

世界のナベアツの悲しみと楽しみ:評論家・山崎元の王様の耳はロバの耳
 ナベアツが演じるアホは、目の玉のひっくり返し気味に視線を泳がせつつ、顔の一方を引きつらせる表情が基本で、さらに、手足をぶらぶらさせて「アホ」を強調することがある。表情と形でシンプルに笑いの刺激を与えつつ、算数との組み合わせた意外性があり、繰り返しのリズムが癖になる、なかなか洒落たネタなのだが、ナベアツによる「アホ」の表現はある種の人にはたまらないだろう。
 ある種の人とは、たとえば、「ナベアツのアホ」を表情に持った障害児を持つ親だ。
ただし、たとえば障害児や障害児の親が不快な思いをするから、ナベアツはこのネタを封印すべきだとは思わない。
 言葉や表現を狩っても不毛であり、一人一人が持っている差別意識を忘れさせているに過ぎない。問題は意識自体の方にある。不格好だとする対象を笑いたい意識は心の中にあるのだから、せめて、それを忘れないことだ。

livedoorニュースの記事を書いたライターの篠原さんは上記の山崎元氏のブログにもコメントをしているので山崎氏のエントリーも読んでいるかと思う。その上で彼が書いた記事が例のlivedoorニュースの記事だが個人的な要望を言えば、山崎氏のブログからも引用しつつどういった対応を取るべきかを書いて欲しかったと思う。私には山崎氏の意図がライターの篠原さんに伝わっていたとはどうも思えない。むしろ反対のことを言っている。

差別に対して過剰に反応する人たちが差別を助長する:livedoorニュース
障害者差別を声高に叫ぶ人ほど、障害者を「特別扱い」する傾向がある。私は知人の女性から、駅で知的障害者の男性に抱きつかれたという話を聞いたことがある。驚いた女性は、その抱きついた人を力を込めて押しのけた。至極、当たり前の行動だろう。しかし、その男性の付き添いの方には怒鳴られたそうだ。「この子は障害者なのよ!」と。つまり、障害者だから許せというのだ。

記事全体における篠原さんの主張はステレオタイプでどこにでもある主張だと思う。まぁ「みのもんた的」と言えば分かりやすいか(いやあそこまで酷くはないです、すみません)。

例えば「知人の女性が駅で知的障害者の男性に抱きつかれた」という話だが、もうこれなんて都市伝説化していて読んでて「またこの話?芸がねーな」と正直思ってしまった。付き添いが「この人は障碍者だから許して」っていうところまでそっくりだ。(付き添いは大抵が女性で母親が圧倒的に多いパターン)

別にこの篠原さんが話を膨らまそうとウソを書いているとか知人の女性がウソを言っているとは主張しないのだけれど、まぁ本当であるという証拠もないし調べようもない。だたなー、ひとりの知人の経験を「障害者は」と一般化するのはどうかと思う。母集団が少なすぎるのでは?抱きついた男性がいたとしてしっかり怒る付き添いだっているだろうと。(そういうパターンは表には出てきにくいとは思うけど)

差別に対して過剰に反応する人たちが差別を助長する:livedoorニュース
どのようなことをすれば良い方向に進むのか、それは私にも分からない。しかし、このようなことを続けていけば、心の中にある見えない差別はより強くなってしまうだろう。

まず始めに「障害」がなぜ「障碍」や「障がい」と言い換えられるようになったのかくらい調べてから記事を書く様にするだけでも少しは変わると思う。篠原氏はこう書いている。

差別に対して過剰に反応する人たちが差別を助長する:livedoorニュース
最近、こういった障害者を差別しているから云々という意見をよく耳にする。「しょうがいしゃ」という言葉も、「障害者」から「障がい者」に変わろうとしている。「害」という字に悪いイメージがあるため、本人や家族に不快感に与えてしまう恐れがあると言うのがその理由だ。私は思う、そこに何の意味があるのだろうか? と。

そういう主張も確かにあるが、話はそんなに単純ではない。Wikipediaで調べてもその一部はすぐに理解出来るだろう。そこに何か意味があるかはもう少し議論をしてから決めても遅くないと思う。

障害者 表記:Wikipedia
「障害」の表記は1949年の身体障害者福祉法の制定を機に一般的に使われるようになった。 「障害」、「障礙(碍)」のうち、「礙(碍)」が当用漢字の使用制限によって法律では使えなくなったことにより、「障礙」と意味が同じ「障害」という語が採用された。

少なくとも「害」という字自体が当て字であるから本来の使い方に戻そうという主張だってある。ジャップと言われて何にも感じない日本人も確かにいるとは思いますが出来れば私はやっぱりジャパニーズとよんで欲しいのです。ジャップという言葉に悪意があろうとなかろうと、ね。ジャップと呼ばれてもなお「私は思う、そこに何の意味があるのだろうか? 」と言えればいいんですがそこまで利口にはまだなれていない。

と、言いつつ山崎氏のコメントから引用。

世界のナベアツの悲しみと楽しみ:評論家・山崎元の王様の耳はロバの耳
  障害児サイドの視点を一つ補足すると、自分の奇行や表情などを「笑われる」対象として納得して受け入れることが出来れば、他人との関わりを上手くやっていく上で、大きな強みになることがあります(これは普通の人のコンプレックスもそうかも知れませんね)。親も子も、障害は個性だと言い切って、そこまでできると、確かに強くなります。出来るなら、目指したい境地です。

本当にそうだと思います。なかなか難しいと思いますが、20年前と比べれば徐々にですが可能性は高くなっていると思います。

追伸
テレビ局がこれでナベアツのネタを放送禁止にしたりしないで欲しい。それだけは切に願う。

チベットの人権問題から

北京五輪の聖火リレー通過にあたってパリ市長が「私は特にチベットの人たちのことが念頭にある」と発言したそうだ。パリ市長っていうのは日本で言うと石原都知事くらいの立場になるのだろうか?どうなのだろう。

ただやはり市長や知事クラスの人が「人権」という言葉を発する事は日本ではそれほど多くない様に思う。欧米と比べて日本には「人権」に関する感覚が薄いというか。理由は歴史的なところにもあるんだろうけどよくわからない。

人権ってなんだろう?その前に人権の概念が適用される人ってどういう人だろう?人間全てだろうか?世の中には有色人種には人権なんかない、って思っている人は少なからずいる。知的障碍者にも人権があると意識していない人もかなりいる。

昔いた会社で「30歳以下なら学歴問わず誰でも採用の対象になる」って言った人事部長に「知的障害者も?」って聞いたら「いや、うちにはまだそれほど余裕はないんで無理です」ってはっきり答えてた。あらら。

つまんない例だと思うけど一般的な日本人が考える「人権」と欧米人が勝ち取ってきた「人権」にはかなりの隔たりがあると思う。多分別の言葉くらいに。

それでも昔に比べれば日本人の人権感覚は随分と欧米に近づいたと思う。チベット人は迫害され抑圧されてきたけれどアイヌ人は無視されてきた。どっちか不幸かなんていうのは意味の無い議論だと思うけど、チベット人の問題はチベットだけでなく日本の少数民族や障碍者にとっても部分的に同じ問題を持っていると思うのだ。

チベット人へ関心を寄せるのと同じ様に近くにいる少数民族や障碍者、女性への問題も意識して行こうと思う。

昔、中国やチベットに行った時、多くの身体障害者をあちこちで見る事があった。身体障害者は手で自転車をこいだり盲目の人達は公園で按摩をやっていたりと「街に出ていた」のが印象的だった。でも知的障害者は殆ど見なかったなぁ。

チベットや中国での知的障害者の生活がどうなっているのか気になったけど、当時それを調べる方法はほとんどなかった。今なら少しは分かるかもしれないので近いうちにまた中国やチベットに行って調べてみたいな。

あ、それから中国人女性(漢民族だけ?)の人権意識は結構高いと思いましたね。儒教の国なのに女性はしっかり主張するう人達でした。(サンプル数が俺だけだから本当は全然違うかもしれないけどね)



着替え

うちの子は風呂から上がってもなかなか服を着ようしない。「早く着なさい!」なんて怒鳴った所で今やっている事(テレビとか)に夢中で聞こえない。ずっと裸のままだ。耳には入っているのだろうが「〜しなさい」って言葉は無意識に排除してしまうんだろう。ま、発達障碍の子供は同じようなケースをいくつか持っているのではないだろうと思う。
で、どうやってパンツやパジャマを着せるかっていうと、これが意外と簡単なのだ。

「それじゃあ10秒以内にパンツはいて下さい。よーい・・・ドン!」

って言うと喜んでパンツを履き始める。

「10,9,8,・・・・」

とカウントダウンをしてあげれば効果は倍増。10秒以内にパンツをはいて得意満面の顔になる。

ただこれは急いで何かをやらせたいときには使えるけど、しっかり体を洗わせたり歯磨きをさせたりするのには使えない。それにいつまでも「よーい・・・ドン!」は使えない歳になってきているから別の方法を考えないといけないかもしれない。


どっちを殺すか?

95歳のおじいさんと17歳の若者が同様に死にそうで輸血を必要としているとする。ここで輸血出来る量は1人分しかない。さぁあなたはどちらに輸血すべきだと思うでしょうか?ここでの選択は「どちらを生かすか」と同時に「どちらを殺すか」という問いでもある。(例外的に「両方殺す」という答えがあるかもしれないけどそれは無視)

感覚的なもので恐縮だが、多くの人が17歳の若者を救う選択をするのではないかと思う。そしてこれは「95歳の老人を殺す」選択を(「殺す」事に関しては無意識かもしれないが)していることになる。

さて、今度は95歳の老人の代わりに「17歳の知的障害者」をその対象とした場合どうかを考えてみる。障碍児の父である私からすると納得出来ないものではあるけれどもやはり多くの人は95歳の老人と同じ選択をするのではないかと予想出来る。良い悪いは別としてこれは十分予想されることだ。「しかたない」と言うひとは決して少なくないはずだ。彼らが「しかたない」と思う理由もいくらでも想像出来る。(ただ、この手の例は知的障碍者だけではない。ホームレスは?犯罪者は?在日外国人は?もっとあるかも知れない)

そしてこの「命の重さ議論」は障碍者の間でも十分に発生する可能性がある。重度と軽度、知的障碍と身体障碍等々。同じ人間なのにね。

自分も含め多くの障碍者の両親は、子供の障害児であるがゆえの不幸を「しかたがない」と思ってしまう部分がゼロではないのではないかと思う。「どちらを生かすか?」の例でも無理矢理「しかたがない」と諦める親もいるかもしれないし、自分はそういう人を責めるほど立派な人間でもない。

だから自分は誓う。自分の子供は障碍による全ての不幸や差別に対して絶対に納得しない。「しかたない」などと決して思わない。優秀なスポーツ選手や芸能人、学者や政治家と同じ人間であり、自分の子供がその障碍のために幸福になる権利を侵害されることを認めない。少なくとも今、自分の子供を心から愛し、守ることが出来るのは私たちしかいないのだから。

「誰かに心から愛されている」といのは幸せの十分条件だと思う。だから愛されていない人はお金持ちだろうが社会的地位が高かろうが不幸なのだ。自分は死ぬまで子供の事を愛していく。それは健常者の親と何も変わらない行為だよね。


宮崎哲弥氏には大いに失望しました

テレビに良くでる「知識人」の中で有名な人物のひとりに小田晋という精神科医がいる。彼はブロガーより上なのか?

ARTIFACT@ハテナ系:「テレビに出ない知識人なんてブロガー以下だと思う」by宮崎哲弥氏

朝日新聞の12/15夕刊で、宮崎哲弥氏がテレビやラジオに出演することについて語っていた。
論壇共同体が消え、知識人が無力化している現状では、影響力を担保するにはテレビに出る必要がある。500部ぐらいしか出ない書籍でどうやって社会を動かすのか。テレビに出ない知識人なんてブロガー以下だと思う。

宮崎氏は発達障害に理解のある知識人で、個人的には良い印象のほうが強い。昨今、橋下弁護士の懲戒請求呼びかけ事件に関して橋下弁護士を擁護しまくりだったのはちょっと引いたが(最近は慎重派になったらしい)、まっとうな評論家というのが私の評価だった。

しかし、今回の「テレビに出ない知識人なんて」というのは、自身がテレビに出る事の良い訳をしている感が拭えない。彼の中には特定の知識人がいて、その彼(ら)の事を指摘していのかもしれないが、テレビに出ている「知識人」でもトンデモないのが沢山いるのは宮崎氏が一番良く分かっているだろうに。

小田晋という精神科医は、今の日本で最もテレビに出演する精神科の「知識人」のひとりだろう。しかし、彼がテレビに良く出るのは彼が優秀な精神科医だからではない

彼がテレビ局にとって「非常に都合のいい」精神科医だからだ。

小田氏は殺人事件の犯人について殆どなんの予備知識(せいぜいテレビ局が用意したプロフィールくらい)で実に細かな鑑定/診断を行ってくれる。しかもテレビ局側の空気を読んだ「美味しい鑑定」が得意だ。先日の長崎佐世保スポーツクラブ乱射事件でも犯人のプロファイリングでとんでもない事を言って笑い者になっている。

まっとうな精神科医なら会話すらしていない人間の病名などテレビで無責任に口にする事などない、しかし小田氏はその辺の羞恥心がないのか平気で「精神科医としての感想」をペラペラしゃべる。

テレビ局や新聞社も「話してくれないまともな医者」より「なんでも話すトンデモ医者」のほうが使いやすい。読者や視聴者もこういう医者の話を読んだり聞いたりして「やっぱりねぇ。怖いわねぇ」と納得しその内容を疑おうともしない。こうしてまともな精神科医は口を閉ざし、トンデモさんが「知識人」としてテレビにはびこる事になるのだ。(宮崎氏はまともな評論家であると思いたいが)

本当はまっとうな仕事をしている精神科医だってテレビに出てまっとうな内容の発言をしたいと思っているはずだが、テレビや新聞では正確な内容は短時間で簡単に伝える事は出来ないし、そんな事に時間や金を使ってくれる新聞社やテレビは現状では非常に少ない(多分無い)。会った事も話した事もない殺人者の診断なんてまともな精神科医は出来ないのにそれをしないとテレビに出れない。本当に犯人を診断した医師なりカウンセラーは守秘義務があるから本当の事は話せないことも有るだろうし。

そういう状況を考えれば少なくとも自閉症や広汎性発達障害の事で正しい情報を発信しようと思ったら、現状では本を書くか、ブログを書くかがいいんじゃないかと思うけどどうだろう。(以前、宮崎氏がテレビで発達障害の事ををかなり正確な認識のもとに発言しているのを見て驚き、そして感謝したことがあるのだが、あえてこう書いてみるのだが・・・)

私のおすすめはこのブログ
こどものおいしゃさん日記
テレビでは取り上げられないようなまっとうな知識人の意見がブログでは沢山見つける事が出来るのだ。

ただ宮崎氏の発言の全部を読んだわけではないので、私の勘違いもあるかもしれない。その時は訂正したいと思う。


自閉症者の歌うアメリカ国家とアメリカ人の凄さ

らばQ経由でDiggから。
これは泣いてしまうよ。

動画ではらばQさんの字幕(アメリカ国家の英語字幕)が入ってます。


日本で広汎性発達障碍を持つ子供の父親として沢山の驚きと感動がこの動画にはあります。 ひとつは、一緒になって歌ってあげたアメリカ人。日本の野球場で同様の事が起こった時同じような反応は日本人には出来ないような気がします。想像するだけでも恐ろしい。

もうひとつは、この自閉症者の両親(若しくは保護者)。自分の子供が自閉症の場合、日本人の親だったらまず人前に出したいと思わない。それを勇気をだして何万人が注目する状況の中へ自分の子供を送り出したのはひとつめに挙げたような国民性だから出来たのかもしれません。それでも・・・やっぱりすごいと思う。

もしかしたら子供がパニックになるかも知れないけど、その時はちゃんと対応方法を考えてあったんだろうなぁ。歌が止まってしまったときの両親の心境はもうほんと痛いほど分かる。

そして最後は、自閉症者に始球式で国家を歌わせようと考えた球場関係者。何かあったら非難されるかもしれない状況でそれをよく企画したと思う。知的障碍と身体障碍では人の受け取り方が違うのは当たり前で、単に「障碍者も参加してますよ〜」というメッセージを送りたいのなら身体障碍者で良かったかもしれない。

映像を見る限りでは決して軽度とは言えない自閉症者にメジャーリーグの始球式で歌を歌わせる事を企画し、それを承認した関係者を心から讃えたいと思う。なんかあったら何か言われるだろうし(実際、この自閉症者は途中で国家が歌えなくなってしまったわけだしね)。

もう、アメリカという国の懐の深さは日本の比ではないんだなぁと思う。

らばQさんが訳したDiggのコメントの一つ

いろんなことが起こる中、アメリカ人であることを誇りに思えたわ
Diggのコメント
despite everything going on, makes you proud to be an american.
広汎性発達障碍の子供を持つ父親として"proud to be an Japanese."と思える日が来るとはあまり思えないのは少し寂しいけれど、この映像を見てそういう人が少しでも増えて欲しいと思う。
アメリカ人に敬意を評してアメリカ国家(The Star-Spangled Banner)を引用。
O say, can you see, by the dawn's early light,
What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming?
Whose broad stripes and bright stars, through the perilous fight,
O'er the ramparts we watched, were so gallantly streaming!
And the rockets' red glare, the bombs bursting in air,
Gave proof through the night that our flag was still there:
O say, does that star-spangled banner yet wave
O'er the land of the free and the home of the brave?
(日本語訳星条旗
おお、見ゆるや 夜明けの淡き光を受け
先の夕暮れ 陽が落ちる時 我等が歓呼しもの
其は太き縞と輝く星なり 危き戦の間
塁壁の上に見たり 勇壮に翻りし 彼の旗/
狼煙の赤き炎立ち 砲音宙に轟く中
耐え抜き 旗は猶其処に在り
おお、星散りばめたる旗は 今猶棚引くや
自由なる大地 勇者の故郷に


盲ろう者の話

目も見えない、耳も聞こえない人を盲ろう者と言うんだそうだ。
「もうろうしゃ」と入力しても私のIMEは正しく変換してくれない。あまりメジャーな言葉ではないんだな。

さて東大に盲ろう者の先生がいてその先生の話がすごかったのでリンク。

平成19年度入学式(学部)祝辞 平成19年(2007年)4月12日 先端科学技術研究センター准教授  福島 智 http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/b_message19_03_j.html


この方は初めは目も耳も聞こえていたのが最初に目を、次に耳の機能を失ってしまったとのこと。初めから見えない、聞こえない人もいると思うのだけれど、前者により「恐怖」を感じてしまう。
だから福島さんと言う人は本当にすごいなぁと思う。

この話を知ったのは中村正三郎さんのブログから。お母さんの話でちょっといい話です。お子さんが確かダウン症だったと思う。障碍者の子供を持つ事で子供からいろいろな事を学んでいるという正三郎さんの言葉を私はいつも大切にしている。かっこいいなぁと思う。


子供が最初に「嘘」をついた時、すごく嬉しかった。
自閉症や発達障碍をもつ子供が嘘をつけるようになるという発想があまりなかった。
「嘘をつける」というのはひとつの能力だと思うのです。違うかなぁ。

最近は本当に嘘ばかりつく(と言ってもバレバレなんだが)のでちょっと疲れるがまあいいだろう。嘘をつくとどうなるかは少しずつ分かってきている感じもあるし。勿論嘘をついた時はしっかり怒ります。

あたりまえの話、障碍の度合いにもよるのだろうが嘘を付く障害者はいっぱいいるし性格の悪い障害者だっている。人殺しをする障碍者もいるし、人助けをする障碍者もいる。多分健常者と同じ様な割合で。だから、別に障碍者から性格が良い/悪い訳ではないし、障碍者だから犯罪を起こす/起こさない訳ではないのだ。

でもこの当たり前は結構当たり前ではなかったりする。「世間一般」では。
小児科医からして当たり前とは思ってないからね。どうにかしてほしい。


任天堂 Wii と障碍の関係

任天堂 Wii が発売された。勿論まだ購入していないがいずれ買う事になるだろう。

うちの子供はテレビゲームは好きだが体を動かすのはどちらかと言えば苦手になる。任天堂 Wiiが障碍を持つ子供にどういう影響を与えるか興味を持っている人もいるのではないだろうか?障碍がなくてもWiiが子供にどんな影響を与えるかは興味があるし、ほとんどゲームをしない私のような人間にも「ちょっとやってみようかな?」と思わせるだけの魅力がWiiにはある。これってすごい事だよな。

ゲーム脳おっさん的にはWiiはどう写っているのだろうか?


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