SSブログ

子供を殺す親の話

「自分の子供を殺すなんて信じられない」というはよく聞く台詞だが本当にみんなそうなのだろうか?
正直に白状すると私は自分の子供が「病気で死んでくれてたら」とか「交通事故で死んでくれたら」と思った事は何度もある。障碍を持つ親は自分の子供が将来幸せになれるかどうか本当に心配になる。「もしかしたら死んだ方が本人のためかも知れない」とチラッとでも思わない障害児の親はいないと思うのだがどうだろう?

子供を殺した親のニュースを聞くたびに「殺された子供は障碍があったのでは?」と思ってしまうのは私だけか?

私の場合、今まで自分の子供を自分で殺さずにこれたのは実は偶然とたまたまが重なっただけかも知れない。
・自閉症や発達障碍についてある程度社会的に理解がある時代に生まれた。
・障碍をある程度早い時期に見つける事が出来たため自分のこどもが障碍を持っている事を早く認識出来た。
・金銭的にある程度余裕がある家庭だった。(うちは共働きではありません)
・周りの人達や組織が障碍に対してかなり理解をしてくれた。
・その他いろいろな人が私たち家族をサポートしてくれた。

こういう私のような家庭もあれば全く逆の家庭もあるだろう。そういう家庭では親はどう子供と接しているのだろうか?
自分の子供に障碍がある事すら知らない親は子供の普通と違う行動の数々っは自分の育て方から来ていると思っているかも知れない。周りからいろいろと言われることもあるだろう。金銭的に余裕がなければ子供の面倒を十分見る事も出来ないし、環境の良い所(都会とか)に引っ越す事も難しい。その苦労は想像を絶するに違いない。何も知らない他人がとやかく言うレベルではないかもしれない。

「自分の子供を殺すなんて信じられない」をいう人達がこういう親の子供を引き取って育てるくらいの気持ちがあるのであれば私は多分何も言わない。でもそうではなく、こういう事を言う人達は十分安全な所から罪を犯した弱い人間を責めているだけだ。自分はそれに対してないもしないくせに。

親を責めるまえに地域社会(コミュニティー)を責めるべきではないですか?
実際私はコミィにティーに感謝しているし、繰り返しになるが今の環境がなければ、私は子供を殺していたかもしれない。

例えば子供が健常で金銭的にも余裕があり子育てをしていない親ならこういう言葉は簡単に出るのかも知れない。
新聞記者や雑誌記者、テレビのニュースがこういう視点で物を見ないのは自分たちが忙しくて子育てなんかした事ないが金は沢山持っててしかも健常の子供を持っているからではないだろうか?それとも「子供を殺す親は信じられない」という視点で語った方が視聴率が稼げるからか?多分両方だな。


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

レイバン

お世話になります。とても良い記事ですね。
by レイバン (2013-07-26 11:37) 

バーバリー

こんにちは、またブログ覗かせていただきました。また、遊びに来ま~す。よろしくお願いします
by バーバリー (2013-07-30 23:06) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。